一般社団法人「いのちを織る会」(非営利団体)とは

  事故、事件、災害、病気、自死等によるいのちに関わる体験を共有しあうことで、

  誰もが誰かのいのちを包む社会づくりに貢献していきす。

いのちの授業・体験版

日帰り御巣鷹山登山学習バスツアー募集のお知らせ

6月12日(水)にて応募は締め切らせていただきました。

たくさんの応募ありがとうございました。

 

参加者の方には今週中にメールにてご連絡いたします。 

この時の活動が新聞に記載されました。こちらから

1985年の夏、美谷島健君(9)は従妹たちに会うため一人、東京発大阪行きの飛行機に乗った。リュックにはお菓子やジュースをつめ、甲子園に行くことを楽しみにしていた。

 健君が乗った日航ジャンボ機は、東京から北西方向の山中に墜落。単独機としては世界最悪の航空事故となった。ただ、彼の存在は、命の大切さを伝えるメッセージとして、子供や大人たちの心に響き続けている。

 美谷島さん(71)が、健君についての話を小中学校で始めたのは2016年。健君との思い出や、健君を失った深い悲しみの中でどのようにして生きてきたかを語り、事故の記憶を伝えている。

 美谷島さんは、日航ジャンボ機墜落事故の遺族らで作る会の事務局長として、安全や被害者支援について、国や運輸業界の会社を相手に講演してきた。ただ健君の話を他の人に、特に健君と同じような年ごろの子供に対してすることは、つらいことだった。

 「健のことを話すとすぐに泣いてしまって、できなかった」と美谷島さん。むしろ、文章などを通じて自分の気持ちを吐露してきた。「(事故から)30年ぐらいたって子どもたちに健のことを話してもいいかなと思うようになりました」

 小学校3年生だった次男の健君に対する美谷島さんの思いは、愛しさ、悲しみそして後悔が入り交じっている。

 1985年8月12日、美谷島さんは健君を羽田空港で見送った。健君は電車や飛行機が大好きで、飛行機の旅は、25メートルを初めて泳いだことへの両親からのご褒美だった。

 1時間もたたないうちにボーイング747型機は群馬県「御巣鷹の尾根」に墜落、524名の乗員乗客のうち520人が亡くなった。必死の捜査にも関らず、美谷島さんに戻ってきたのは健君の右手とわずかな遺体の一部だった。

 美谷島さんは、健君を一人で一人で飛行機にのせてしまったことで毎日自分を責めた。食事時間の間も涙が流れ、愛するものを失って生きることが死ぬよりもつらいと思った。

 


 美谷島さんが自分を取り戻し始めたと感じたのは、健君が、あの恐怖の時間に一人ではなかったと思えるようになってから。事故から約二か月後、飛行機で健君の隣に座っていた22歳の女性の母から電話があった。「私の娘は優しい子でした。彼女は子供が大好きでした。きっと健君の手を強く握っていたとおもいますよ」

 美谷島さんが、特別授業で子供たちに伝えるのは、健君がそうであったように、家族や友達にとって自分たちの命が大切だということだ。大切な人を失った悲しみは消えることはないけれど、悲しみは、同じ悲劇が二度とおきないようにするための「力」にもなるとも話す。

 美谷島さんによると、「死」や「事故」といったことを直接に取り上げることは日本の通常の学校授業ではあまりない。ただ、子供たちは美谷島さんの授業の内容の意味をきちんと受け止めているようにも見える。

 「健君の分まで一日でも長く生きる」とある小学生は書いた。

 美谷島さんは、子ども向けの授業として健君のことを話してきたが、その力強いメッセージは、親たちも感じている。

 石原幹子さん(41)は、昨年6月、息子が通う東京都の小学校で美谷島さんが子ども向けに行っている講演の内容を大人向けに繰り返すのを聞いた。

 石原さんは健君が小学3年生だった時の同級生。だが、事故の記憶を引き継いでいくような役割を果たすことはないと思っていたという。甲子園に頻繁に行ったり、毎年事故の日にニュースが流れることで、健君のことを思い出したが、それ以上何かすることはなかった。

 考え方が変わったのは美谷島さんの講演を聞いてからだ。「絶対もっと生きていたかっただろう健君に対して、何かできることがあるならやりたい」と話す。

 石原さんは美谷島さんの活動を手伝うようになった。今年7月の親子向けの御巣鷹登山ツアーには、石原さんはスタッフとして関り、息子の秀吾君(7)も参加した。

 何百もの墓標が立つ1,565メートルの御巣鷹の尾根を登ることの意味を、7歳の秀吾君が完全に分かるには、まだ少し早かったかもしれない。ただ、石原さんは事故現場に行き、同じ年頃の男の子のために手を合わせたことが息子の記憶に残ってくれたらいいと思っている。

 若い世代に事故のことを伝えたいという思いは、美谷島さんの中で年々強くなっている。一方で、美谷島さんは山を登る子どもたちから「贈り物」をもらっているとも言う。

 「山に登る子どもたちは、まるで健が自分の友達で、そこにいるかのように私に話してくれる。その瞬間がすごくうれしい」

 今でも、授業のために原稿を作るときに、健君のエピソードを加えようとすると涙が出る。しかし、美谷島さんは、自分を単に「子どもを亡くした悲しみで涙を流している親」という風には思ってほしくないと言う。

 「子どもの前では泣かないと自分を言い聞かせているし、私にとってもっと大切なのは、子どもたちが私の言葉を聞いてなにを感じてくれるか。そこから(より良い未来のために)つながるものが大事なのです」

 健君のことを話し、彼からのメッセージを伝えることは、健君から与えられた一生の宿題だと、美谷島さんは思っている。「事故が起きなかったら美谷島さんは違う人生を歩んでいたのではないかと言う人がいます。でも私はこの人生しかないし、健と歩んでいく」

紙芝居スタートしました。

詳しいことは活動報告にて

幼稚園・保育園で行っています。

お問い合わせください。お待ちしております。



母の紙芝居、

 

命の大切さ伝える 前橋の鈴蘭幼稚園 園児50人前に講演

 一九八五年八月の日航ジャンボ機墜落事故で、小学三年生だった次男の健君=当時(9つ)=を亡くした美谷島邦子さん(72)が七日、前橋市元総社町の群馬医療福祉大学付属鈴蘭幼稚園で講演を開いた。美谷島さんが事故から三年後に作った絵本を基にした紙芝居「いつまでもいっしょだよ」を使って、園児約五十人に命の大切さを訴えた。

 紙芝居では墜落事故により五百二十人の尊い命が一瞬にして亡くなった事故の悲惨さにも触れながら、健君の話を読み聞かせた。最後に「健ちゃんの一番の願いは、事故のことを忘れないでほしいこと、自分や友達の命を大切にしてほしいこと」と呼び掛けた。

 その後、美谷島さんと園児らは、願いを込めて折った色とりどりの紙飛行機を講堂で飛ばした。

 同園の田中輝幸園長は「園児には自分のことだけでなく他者の気持ちも想像できるようになってほしい。授業を受けて、社会のことを知る一つの材料にもなれば」と話した。

 美谷島さんは「親世代でも事故を知らない人が増えてきた。子どもを通して両親など多くの人に伝えていきたい」と語った。(市川勘太郎)

 

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東京新聞2019年2月8日


     2018.7.14 日本航空安全啓発センター見学の様子

 

日航機墜落事故 

同級生たちと初めて尾根へ    ニュースウォッチ9 群馬2017年8月11日

http://www.nhk.or.jp/shutoken/miraima/articles/00891.html

 

別れた友と31年ぶりの再会はこちらから         ニュースウォッチ9 群馬2016年8月11日

http://www.nhk.or.jp/shutoken/miraima/articles/00890.html


日航機墜落32年命の重さ伝える運動靴
                                                                                                                                    2017
81412:16
                                                                                                                                      日テレニュース24

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