日航ジャンボ機墜落事故32年=柳田邦男

 

毎日新聞2017826日 東京朝刊

 

つながりが生む新しい精神文化

 

 8月12日。御巣鷹の尾根に今年も登ることができた。右股関節変形による腰痛と、右大腿(だいたい)部から足先までの痛みとしびれが続いていたので、どこまで登れるかと思いつつも、登山口からつえ1本を頼りに、ゆっくり、ゆっくりと歩を進めた。

 

 あの日、520人の命を奪った日航ジャンボ機墜落事故で、美しい盛りだった娘さんたち3人を一度に失った兵庫県西宮市の田淵親吾さんと妻輝子さんは88歳と83歳。81歳の私より年上なのに、毎年欠かさず慰霊登山をしている。その姿を思うと、足腰が不思議と和らいだ。

 

 足の不自由な高齢の祖父の手をとって支えながら、若者が一歩一歩、慎重に山を下りてくる。その後ろに中年の息子と娘、さらに孫たちが、ゆっくりとついてくる。

 

 事故当時、悲嘆に暮れた人たちの多くが年老い、子どもだった世代が親となり、さらに次の世代の幼い子たちを連れて登ってくる。幼い子たちにとっては、あの大惨事は歴史の中の出来事でしかないだろう。それでも、息を切らして山を登り、林立する墓標の前に立つことで、何かを心に刻むだろう。

 

 大切な日への回帰を促す三十三回忌の意味が、狭い登山道の情景から見えてくる。そこには「風化」などという気配は全くない。

 

 昇魂之碑の立つ尾根に、これまでの2倍の1時間半をかけてたどり着くと、そこにはこの20年ほどの間に起きたさまざまな事故や災害の遺族たちの姿があった。

 

 信楽高原鉄道事故、JR福知山線事故、中華航空機事故、オーストリアのケーブルカー火災、明石歩道橋事故、東武竹ノ塚踏切事故、シンドラー社エレベーター事故、御嶽山噴火災害、東日本大震災の津波災害、関越自動車道バス事故、軽井沢スキーバス事故……。 経済大国と言われるこの国に、恐怖と悲しみに満ちた事故や災害の被害者が何と多いことか。

 

 これらの事故や災害の遺族が、なぜ御巣鷹の尾根を目指し、集うのか。そのきっかけは、10年あまり前から、日航機事故で当時9歳の次男・健さんを亡くした美谷島邦子さんが、その後も次々に発生する事故や災害の遺族たちの慰霊祭や集いに参加して、交流の糸口をつくってきたことに始まる。

 

 美谷島さんら遺族で作る「8・12連絡会」は、考え方や立場の違いにこだわらず、緩やかな関係でつながり合い、情報の交換や共有、悲しさやつらさを語り合う場づくりなどを通して、遺族の孤立化を防ぐとともに、安全で安心できる社会づくりに向けて発言してきた。

 

 美谷島さんはさまざまな事故や災害の遺族に声をかける時も、「緩やかにつながる」姿勢を守ってきた。新たな事故や災害の現地を訪ね、遺族とともに現場を歩いて語り合う。そして「一度御巣鷹に来てみませんか」と声をかける。どこへでも足しげく出かけて交流する。その積み重ねが、御巣鷹の尾根での集いを生んだのだ。

 

 共同アピールを発信するようなことはしない。旧知の仲のような出会いの親睦感を胸に刻み、帰途に就くだけだ。それぞれ悲しみを胸にたたえていても、出会いの場では、みな柔らかな笑みを浮かべている。

 

 この10年ほどの間に、被害者に対する日本航空の姿勢は大きく変わった。役員から一般社員に至るまで、安全に対する意識や行動について、180度の転換といえる改革を進めた。象徴的なのは2006年、事故機の残骸を乗客の遺品や遺書とともに展示して社員の安全教育の場とする「安全啓発センター」を羽田空港内に開設したことだ。これまでの見学者数は社員がのべ約10万人、社外の企業、研究所、行政などが約10万人に達している。

 

 安全啓発センターの一角に、機体の小さな破片が多数、ガラスケースに並べて展示されている。事故で妹澄子さん(当時41歳)を亡くした愛知県の武田〓(たかし)さんが慰霊登山の度に斜面のあちこちに放置されていた破片を拾っては洗って保管していたものだ。

 

 日本航空は武田さんから破片の提供を受け、安全啓発センターに展示した。法的、技術的には無用な破片であっても、遺族の心情には切なるものがあるということを全ての役員、社員が理解するための象徴としたのだ。

 

 この姿勢は、遺族の日本航空に対する姿勢をがらりと変えた。センター開設の前日、展示を見るため上京した武田さんは、東京駅まで見送りに来た日本航空の役員に「一緒にビールを飲みましょう」と言ったのだ。

 

 その武田さんの姿をこの2年、山で見かけなくなった。今年の8月12日、身内の人から声をかけられた。7月1日に逝去されたと。

 

 8・12連絡会の遺族は、毎年1回安全啓発センターを訪れ、日本航空安全推進本部のスタッフらと思いを語り合うワークショップを開く。また、美谷島さんたちは昨年、「いのちを織る会」を結成。小中学校での「いのちの授業」や、希望者に安全啓発センターの見学や慰霊登山をしてもらい、感じたことを書いてもらうなどの活動をしている。参加した小学6年生はこんなことを書いた。

 

 「一つの命の後ろには、たくさん命があると感じた」

 

 10年前にはなかった動きが今、いろいろな形で生まれている。その動力源は、喪失体験者の「つながり合い」にあるのだろう。喪失の悲しみが生み出す新たな安全文化であり、新たな精神文化だと言えようか。